


「労災保険に加入したいけど、手続きやルールがよくわからない」という農業者にとって頼りになるのが各地の「労働保険事務組合」だ。農業者から労働保険に関する事務の委託を受け、加入手続や保険料の申告・納付、事故発生時に必要となる書類の作成・提出などを支援している。そこで、「徳島県農業機械等安全推進協議会 労働保険事務組合」で事務局を担当する徳島県農業会議の安芸卓生課長(農地組織・担い手担当)に、農作業の安全対策や労災保険加入の推進について聞いた。
安芸課長が力を入れるのは、個人経営で常時5人未満の労働者を使用する暫定任意適用の対象となる農業経営体への労災保険加入の呼びかけだ。現在は任意加入の対象となっているが、労災保険の適用事業に関する暫定措置を廃止する改正法が2026年7月10日に成立した。政府は2031年度までに、農業で1人でも労働者を雇用する全ての経営体について、労災保険への加入を義務化する。
農林水産省「2025年農林業センサス」によると、雇用のある農業経営体は約23万経営体。このうち、個人経営体で常雇い1~4人又は臨時雇い1人以上の経営体数は、約20万と推計されている。一方、令和6年6月時点で、暫定任意適用事業として任意に労災保険へ加入している農業経営体数は約2万3,000(厚生労働省データ)にとどまる。
労災保険の制度や必要性を十分に知らない農業者も少なくなく、各地で制度周知や加入相談、手続支援の取組が進められている。
労災保険で働く人と農業経営を守る
安芸課長が所属する徳島県農業会議は、農業委員会等に関する法律に基づき、徳島県知事から農業委員会ネットワーク機構として指定を受けた団体だ。農業者の立場を代表し、市町村に設置されている農業委員会と国・地域の農政とをつないでいる。農業委員会は農地の利用や転用などの事務を執行する行政委員会だが、都道府県の農業会議では近年、担い手不足をカバーする新規就農や農家の雇用に対する支援など、「人」に関わる業務が増えている。
「徳島県農業会議が事務局を務める徳島県農業機械等安全推進協議会は2003(平成15)年にできました。私は徳島県農業会議に就職後、農家が人を雇用する際に活用できる国の補助事業などを担当するようになりました。そこで欠かせないのが人を雇う際の『基本的ル―ル』です。こうした仕事を通して、現在、労働保険事務組合で担当している労災保険の大切さを強く感じるようになったのです」
安芸課長が重要視し、農業者に丁寧に説明している「基本的ルール」とは、働く人への「労働条件通知書」の交付、法定3帳簿(出勤簿、賃金台帳、労働者名簿)の整備、農作業に関する安全教育の実施、労災保険への加入及び雇用保険の適用確認などだ。新規就農者や若手はともかく、勤め人の経験がないベテラン農業者には、なかなかピンとこないようだ。
「面倒くさい」「こんな書類を作るのは嫌だなあ」「今まで要らんかったでえ」…。安芸課長が労災保険の加入を勧め、人を雇う際のルールを説明すると、「労災保険に入ろうとするから、こんな書類が必要になってくるんやな」といった反応もあるという。
ただし、労働条件通知書や法定3帳簿の整備は、労災保険に加入するためだけに必要となるものではない。労働者を雇用する際に求められる基本的な労務管理であり、事故発生時に勤務実態を確認する上でも重要となる。
ジレンマを感じながらも、安芸課長は根気強く労災保険の必要性を訴えてきた。「もし、雇われている人が大きなケガをしたら、十分な補償を続けられますか。労災保険は、働く人だけでなく農業経営も守ってくれます。労災保険への加入は、働く人に選ばれる職場づくりにもつながりますよ」。
収穫期の慌ただしさが労働災害のリスクを高める

徳島県で発生する農業の労働災害には、どんな特徴があるのだろうか。安芸課長は「事務組合を通して労災保険に加入された農業者に関して言えば、目立つ事例のひとつが、春ニンジンの収穫期に圃場や作業場で起きる事故ですね」と説明する。
農水省のデータをもとに県がまとめた「2025グラフで見る とくしまの農林水産業」によると、2023年のニンジンの作付面積は約936ヘクタール。収穫量は49,400トンで、全国3位だ。
このうち、10~12月に種をまき、翌年3~5月に収穫する「春ニンジン」は収穫量で全国1位を誇る。京阪神市場をはじめ各地に出荷され、端境期のニンジンの供給を支えている。
「多くの農家がこの時期だけ、求人広告などを通じて短期雇用を行います。収穫や出荷の作業は天候対応も重なるため、翌日に雨の予報が出ていたりすると、『今日中にやってしまおう』と慌ただしくなりますね」
安芸課長によると、転倒や農業機械に絡む事故が起きているという。圃場のぬかるみで尻もちをつく。地面に手を付いて手首をねんざする。さらには刈り取り機や作業場の収穫機等の可動部に巻き込まれ、手や指を失うといった重大事故もあった。
「圃場だけでなく、ニンジンの洗浄用に大量の水を使う作業場も滑りやすくなり、転倒リスクが高まります。慌ただしさで足元の確認が不十分になり、排水路に落ちる事故も報告されています」。毎年働きに来る人の中には、高齢の作業者もいる。作業内容や体調に配慮し、無理のない作業計画を立てることも、事故防止の重要な要素となる。
こうしたリスクは、ほかの農業現場でも同じだ。徳島を代表する作物「スダチ」などの果樹園は、傾斜地で石や岩も多く滑りやすい。脚立からの転落などにも注意が必要だ。安芸課長は「『作業は複数で』と呼びかけています。1人だと事故や熱中症で倒れても、発見が遅れます。1人なら携帯電話を忘れずに。でも、『ポケットに入れると邪魔だから』と軽トラックの車内や自宅に置いたまま、という人も多いですね」と複雑な表情だ。
熱中症に関しては、空調服などの対策用品を活用していても、気温や湿度、作業強度、体調等によってリスクが残る。体調悪化だけでなく、重大事故を招くこともあり、油断できない。農業現場での熱中症の実情が判然としない面もあるという。「『めまいや頭痛で早退』は日常茶飯事。でも軽度の体調不良は、必ずしも労働災害として報告・把握されるとは限らず、統計データに表れにくい面があります」。
県内各地に赴いて説明「任意加入の背中を押したい」

徳島県の農業者が労災保険の加入を検討するとき、地元のJAに相談し、そこから安芸課長の事務組合に連絡されるケースが多いという。「県内、どこでも伺っています。任意加入で法律上の義務がないからと決めかねている人の背中を押すことができるし、加入の手続きも支援しますよ、と説明しています」
実際、加入手続きは大変だ。地域によっては所管の労働基準監督署まで片道で2時間もかかるし、窓口が開く日中は農作業で忙しい。慣れていないと電子申告も難しく、社会保険労務士に依頼すれば数万円の費用がかかる場合もある。「農業会議はもともと、農業者を幅広く応援する組織。その一環として、公共性の高い支援に取り組めていると思います」と力を込める。
2025年度は事務組合を通して計20経営体が労災保険に加入した。このうち18経営体が任意加入の個人農家だった。「スダチの産地で、移住者の受入れにも熱心な神山町で10軒の農家に説明し、新規就農者を含む8軒に加入してもらったこともあります」。
このほか、年10回ほど、トラクター免許や猛暑対策、作物別の部会といった県やJAの講習会で時間をもらい、安全対策、労災保険、雇用する側の義務について説明している。一連の活動には国のサポートも始まった。徳島県農業会議は3月、農林水産省の「雇用体制強化事業(都道府県推進体制整備事業)」の事業主体に採択された。現在は、他の11団体(一次公募9団体、二次公募3団体の計12団体)とともに、国の補助金を活用し、農作業安全と労災保険加入促進の取組を進めている。
安芸課長は全国の推進役に向けて、「講習会などで農作業の安全や労災保険の話をするとき、圃場の写真を見せながら、『私も柑橘農家で育ち、斜面でコケたり、脚立から落ちたりしていました』とエピソードを交えるようにしています。自分ごととして語り、農業者にも自分ごととして理解してもらう努力が大切だと思います」とエールを送る。
